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スリランカ日記 紅茶教室
August 17, 2007
日記
青空
長い間日記をお休みしてしまいました、携帯から「しばらく日記はお休みします」と送ったつもりだったのに・・・今パソコンを開いてみると送られていなくてびっくり。


8月8日急に父が他界してしまい・・・・何がナンだかわけのわからないままお通夜・・・葬儀となっていました。

父は東京出張中に亡くなり、妊娠中の私は家で待ち兄とお母さんが父を迎えに東京まで行った。
父の様態が悪いと電話があってから亡くなったと連絡が入るまでものの10分くらいで・・・・・生まれてから30年間私にとって一番強く大きな存在だった人がいなくなった事を理解する事が恐ろしいのと同時に、私がしっかりしなくては・・・・という弱々しくすぐにでも風に吹き飛ばされてしまいそうな決意にただただしがみついては平静であろうと必死だった。

朝2便の飛行機で兄と母が東京にたった後ニイナが実家に来てくれ、少しドライブをした・・・・・・今でもそうだけど父が亡くなった電話を聞いてから何を見ても世界が以前と同じようには見えない、それはカナシミに打ちひしがれて世界が色をなくしたとかではなく、もっと深い所で心の目が冷静に世界を眺めている感じ。
固くそこに永遠に退屈にあるように見える風景も人間関係も本当はちょっとした拍子になくなってしまったり変わっていくのかもしれない。
見慣れた町並みも自分の部屋の布団も・・・・・・いつもある実家の風景も。

8日のお昼ごはんはニイナとモスバーガーを買いカフェに持って帰った、何を食べても味がしないとはこの事でただショッパイと思うだけだった、夕食は私の妊娠5ヶ月目の「犬の日」のお祝いでニイナに焼肉に連れて行ってもらった、途中兄から「大丈夫か?」と電話があった時も「今から焼肉行くけん!」と張り切って言い・・・・兄も「食べ過ぎんようにな(笑)」という妙な明るさの会話が、深い山道で途方にくれる迷子の兄弟がとにかく希望を見失わないようにと必死に励ましあい明るい歌を歌いながら歩いているようで・・・・。
兄は兄として強がる後姿を心配に思い少しでも兄に意地悪をしてくる人にくってかかっていた幼い頃をぼんやりと思い出していた。


大切な人は私が皆守ってあげたかった。
頭の良い子が聞いたら笑うような事を私はいつも本気で必死で願っていた。


要領の悪い私は何に対しても真正面から体当たりする事しか出来なくて何でもかんでも突っ走っては玉砕していた。


そんな私の事を一番理解してくれたのは父だった。

頭は悪いくせに人一倍敏感だった私はとにかく学校が嫌いで、何のために学校に行くのかが解らなかった。
そこには興味のある事もなく信頼できる大人もいないように思え先生もふくめ皆が無難に過ごすのに一生懸命で「本当の事」を隠しているように思えてしかたなかった、きっとその事にさえ気が付かないで過ごしている先生や生徒も大半だったのかもしれないし、今思うとそれはそれで悪い事ではないとさえ思う。
それでも高校生という一番多感な時期にそんな包み隠された中で心底感動する事や学ぶ事などはなく・・・・・そんな私の話を「本当の声」で答えてくれていたのが父だった。


晩年父の所には毎日2〜3人の人が色々な事を相談しに来ていた、父は自分をすり減らしながらも毎日断る事なく相談を聞いては解決する道を模索していたようで・・・・・私にはその大変さは理解できないけどいつも父は口癖のように「人に頼るより頼りにされる方がずっと楽なんだよ」と言っていた。

とにかく父は人を喜ばせるのが大好きな人だった、皆の楽しい顔が大好きな人だった、澄み切った青空のような笑顔の人だった、来年には私もお母さんになれる、美味しい物を沢山作り食べ美味しい紅茶をいつも誰かに入れ続けていたい。


Posted by diary at 05:08 PM