
帰ってからニイナの夕飯を準備して風呂に入り寝ようとしたのだけど・・・・むしょうにそうめんチャンプルーが食べたくなり・・・・寝れなくなってしまった。
調理師学校時代、私には宮古島出身の友達がいて始めてそうめんチャンプルーを作ってもらった。
具はツナとレタス・・・・・時々ランチョンミートなども入っていてあのベタっとした食感と塩っ辛い味が凄く気に入り良く自分でも作って食べていた。
宮古島の人達はとにかく沢山お酒を飲んでいた、「おとうし」という飲み方があって皆で円になって一人親を決めその親が皆に泡盛を注いでいく、注がれた人は絶対に飲み干さなければいけなくて・・・・アルコールの苦手だった私にとっては辛い宴会だった・・・・、ちょうど同じ年の子達の間ではハードコアやロカビリーが流行っていたらしく皆そういうたぐいの音楽を聞きながら泡盛をグイグイ飲んでいた。
あの頃はとにかく沖縄料理が大好きだった、サタパンピン・ゴーヤチャンプルー・中身汁・島天ぷら・・・・・見るもの全てが目新しく刺激的だった・・・・にも関わらず当時私はクラシックのかかった薄暗い喫茶店でアルバイトをしていた、マスターが絵描きさんで・・・・独特の油絵を書く人だった、そういう静かな世界に見える独特の淋しさに心が安らいでいた。
マスターには私と同じ年くらいの娘さんがいて時々お店に来ていた、美大で絵画を学んでいるらしく・・・・ちょうどマスターの描く油絵に出てくるお人形と同じような顔をしていた、「お父さん今日友達に000ちゃんのお父さん変って言われたよ」・・・と娘さんが言うとマスターは目をッパっと見開き満面の笑顔で・・・「何??本当か??凄い!!!変体親子だ!嬉しいなぁ〜絵描きたるものこうでなくては!」と言いツヤツヤとしたほっぺたを赤らませていた、そして・・「僕は死ぬときニコっと笑って楽しい人生だったと言い死ぬのが夢なんだ」と言った。
マスターは一日にかなりの量のタバコをすっていた。
いつもいつもタバコを指の間に挟んで煙をもくもく出していた、マスターの奥さんは小柄で素ッピンの少しオノヨウコさん似の人で、マスターと対等に喧嘩できるのは奥さんだけだった・・・・「家を建てたのに全然帰って来ない」と奥さんが言うとてマスターは寝室が屋根裏にあってはしごでその部屋に入るのを自分が設計した事を自慢し、さらに入り口には可愛いレースを使ったカーテンを下げているらしくそれをはぐって寝室の奥さんの所に行くのがロマンチックだと言っていた・・・・が奥さんの話によると実際は全然寝室には来ないらしい。
別に遊んでいるわけではなく毎晩気が付いたらアトリエで絵を描きながら眠ってしまうらしい、結局奥さんもそんなマスターの事が好きで理解していたのだろうと今になった思う。
そういう不思議な生活をしている人には不思議は空気が漂っていて楽しそうで淋しそうで・・・・いつも何かを探している・・・・そんな家族に思えた。
沖縄の強い日の光とは正反対の静かで時間の止まった世界での出来事。
その喫茶店の横には駐車場があって中国人のおじさんが管理をしていた、仕事が終わり外でバケツを洗っていると必ずそのおじさんはやって来て自分の国の話をしていた、ある日早く仕事が終わりおじさんが「まりちゃんバーに行かない?」と言って来たので怪しい感じでもないしと思い行くと、なんともおじさんには似合わないお洒落なバーでびっくりした・・・・・そして何が驚いたって「ここで一番美味しいつまみ食べてみる?」と言い「いつものちょうだい」と言った私達の目の前には大きくふくよかな梅干が一粒ずつ出て来た・・・・恐る恐る食べてみたが何の変哲もない正真正銘の梅干だった。
本当にあの梅干があのバーで一番美味しい食べ物なのだろうか?いったいあの梅干はいくらだったのだろうか??謎だ。
その後私達はんなやかんやと世間話をしてそれぞれ家に帰って行った、あくる日マスター夫婦にその話をすると「いくら良い人でも知らないおじさんについて行ってはダメ!」と怒られたので・・・・その日を坂におじさんとはあまり話さなくなった、何となくそれの方が良いような気がしたので。
その他にも当時私には数人の中国人の友達が居て皆それぞれに良い人だったし、良く夕飯を作って食べさせてもらっていた。
中でも鶏肉のカシューナッツ炒めが大好きだった、又あの味が食べたいな〜。











































