
最近お店の長期休暇のせいか気持ちがダルダルにゆるんでしまっていて心まで鈍くなっている気がする。
さっきはバックホーンを聞きながら東京の友達と二回目の東京一人暮らしをしていた頃を思い出していた、都落ち(?)した一回目の頃の自分にはもどらないように昔の友達とも連絡をとらずにただただ毎日仕事をして深夜家に帰ってからは店で作った料理の復習や翌日の仕事の事ばかりを考え・・・・テレビなんて高級品は持っていなかったのでラジオを聴きながら流し台の横で夕食を食べひたすら眠っていた、あの頃本当は凄く淋しかったように思う・・・・やりたい事をやっているつもりだったのに全然幸福ではなかった何故かな??
それでもその時はそうする事しか出来なかったからそうしていた。
ただその頃働いていたお店の中の世界を濃厚に生きていた、小さなお店だったから問題も多々あったし人間関係も大変だったけどそこしか生きる場所がないように思えていたので・・・・ただ濃厚にそのお店に全てそ注いで生きていた。
東京の友達は段々疎遠になる人も多くそれは自然の成り行きだから良いのだけど、時々急に思い出す。
動物のようにつぶらな瞳で夜の新宿を歩く姿・・・・何故か思い出すシーンはいつも冬で寒そうに身を縮めて歩くその姿・・・・その人の横を歩く私は多分今よりもっとアホでもっと自由でもっと淋しかった。
自由を淋しいと思う私は自由にはむいていないのかもしれない。
最近は凄く沢山の人と出会いがあって、出会いとフェイドアウトのスピードも速く・・・・勿論それはそれで良いのだけど、と思いながらも何となく振り返ってしまう・・・・こぼれ落ちてしまった数々の出会いを。
多分こんな性格だから人よりも前に進む速さがかなり遅いのだろうなとは解っているのだが・・・・・これが私の特徴みたいだ、多分動物図鑑か何かに私がのったら・・「特徴、振り返ったり確かめたりする回数が多いためノロマである」と書かれるに違いない・・・・。
でも最近兄の子供と遊んでいて良く思うのは子供って私達が普通に出来ている事が本当に出来ないし解らないのだなという事、こちらがあせったり急がせたいしてはいけないし・・・・子供の時間の流れと大人の時間の流れかたって本当に違う。
同じ空間を生きているのにまるで違う世界を見ているように・・・・・子供と一緒にいるとノロマなつもりの自分がいかに生き急いでいるかを痛感するし、日々の楽しい事を見落としているかに気が付く・・・・・これって心がそのラインを見ていないと見えない事だし、見えた方が楽しいし特した気分になる。
こういう事を感じるようになったのもここ最近、昔は子供が苦手だった・・・・・嫌な事があったらすぐにワーワーとぐずる子供を可愛いとは思えなかった・・・・・でもよくよく見ていると子供って自分が小さい事を知ってか・・・・その存在や魂が感じている感情のカタマリを誰かに伝えたくてアピールしているように思え、同じ目線で対等に話してみると子供は凄く気持ちが落ち着き嬉しそうに一生懸命におしゃべりをする・・・・・何が現実かいまいち解っていないので・・・とにかく変な事ばかりを言い面白い。
今日なんて「まりちゃんお店やさん?何で??わかちゃんはお店やさん???何で・・・・??まりちゃんお店やさんするならミルクティーにしてね」と前半は支離滅裂なわりに後半は大人ぶって無理無理にまとめ上げ・・・何食わぬ表情ですましている様子が可愛くてしびれあがってしまった・・・。
大人は大人として生きていかなくてはいけないんだろうけど、あのふくよかでミルクのような香りのする子供時代に小さな憧れをぼんやりと抱いてしまう。
私が子供頃の風景で昭和の家を思い出し古い物に憧れを抱くように、この子達が大人になったら今の家を思い出し・・・私が「ダサイ」と思っている実家にある数々の道具を「古道具でステキ、子供の頃こういうの家にあったよね〜可愛い」というようになる時代が来るのだろうか・・・?
そんな事を思いながら好きではないが安心感のあるお母さん世代(?)の道具や家具を眺めていた・・・・。











































