
今朝は東京からお客様が来ていたので朝食を作った。
イングリッシュマフィンのハーブチーズと生ハムのサンドイッチ、サラダ、スープ、紅茶、フルーツ・・・・。
朝が早かったせいもあって少々スープの味を妥協してしまった事が時間が過ぎるほどに「あー・・・」っと気になってしまうのだった・・。
あれは「家庭的な味」と「妥協した味」を勘違いしてしまった味だったと今になって思う。
きっと料理の苦手な若奥さんが新婚一ヶ月目ぐらいに作ったら旦那さんが「おー!!料理の腕をあげたな!!」っと言ってくれる雰囲気で、確かにそのシチュエーションならステキな料理だったと思う・・・・・。
私は一応料理を仕事にしている人間なので、もっとがんばらなくてはいけなかったのだろう。
あー反省・反省・・・。
そういえばさっきお父さんが「料理は気持ちで食べるものだ」って言っていた。
普段はそんな事は言わない人なのでちょっと驚いたが、どうやら理由があったらしい・・・・・・。
それは先日お母さんが「今夜は鍋にするから畑から白菜とって来て・・・」とお父さんに言ったので(お父さんは最近趣味で野菜を育てているので・・・)畑に行ってとって来た白菜を台所に置いていたらし。
夜になって鍋を食べていたお父さんは、さっきまで畑に植わっていたと思われる自分の白菜を「いやー美味しい美味しい!!なんでこんなに美味しいんだろうんなー!!」と満足げに食べていたのだが・・・・・ふと流し台の横を見るとさっきとって来た白菜がそこにあったのだった・・・・「?」っと思いお母さんに「あれは何?」と聞くと「さっきお父さんが畑からとって来た白菜で、今食べよんのは前に買って来てた残りの白菜で・・・」と言うのだった。
その言葉を聞いたお父さんは急に白菜の味がいつもの「白菜」になってしまってがっかりしたそうだ。
まぁ、ちょっと思い込みの部分が大きいって思ったけど・・・・一理あるのかも・・・・って思って、そういえばニイナはいつも私が作った料理を「美味しい、美味しい!」っと言ってくれるので(イヒ)私もその気になって喜んでいるのだが・・・・・点数のつけ方がかなりひいき目なのでは・・・・・・なんて一人で考えたりもした・・・。
でも私は褒められるのが好きなので良いや。
そうそう今日はお父さんがこんな事も言っていた。
「自分の子供だけちゃんと育てようとしてもダメ、周りにいる人の子供も同じように(自分の子供が特別に可愛いのはみんな同じだけれど)きちんと育つようにって思っていないと、自分の子供もきちんとした人には育たないよ」って。
そうだーって思った・・・・。
私もそうだったけど、「親の背中を見て育つ」所って大きいきがするし、仮に自分の親でなくても育ててくれる人の背中を見て人って育って行く物が大きい気がする・・・・・。
育ち段階の人って人格も育ち盛りなので、育ててくれている人の心の中の動き方・あり方を気が付かないうちに察知したりコピーしたりする事が多い。
そして勿論反面教師ってパターンもあるのだけれど・・・・・・。
とにかく良くも悪くも敏感なのだ。
私は学校には全然興味がなかったのでどんなだったかちっとも憶えていないけど、今までお料理をお仕事にしている方と出会わせて頂いた中で、一人のイタリア料理家の方にお会いしてから私の中の「食べ物」に対する価値観が大きく変わったと思う。
その方の料理をする背中を見て学んだ事は大きく、その方に出会っていなければ今の自分はいないなーと思う。(勿論、その方のお料理や世界観は一流で私などとはレベルが違い・・・似ても似つかないのですが・・・)
人というのは言葉で色々な事を伝えて行く事が出来るけど、時に言葉ではなく何か解らないけど・・・「感じ取る力」みたいな物が備わっているって思う。
遠い遠い昔・・・・原始時代の名残って感じでステキ。
余談だけれど原始時代や遠い遠い昔は、携帯が無くても家族や恋人や親友が危険な目にあっていたり、相手の事を強く思ったりしていると「ピーン」っとお知らせが来ていたのだろうか・・・。
もしそうなら、失くしたり充電用のコンセントを探したりしないでいつも通じあえているので良いな。











































